「妊婦に優しいおじいちゃんに救われました」って、いや、それ泣くとこじゃなくて、突っ込むとこでしょ。
8ヶ月の妊婦が、バスに揺られて米買いに行ってる時点で、まず家庭内の誰が機能してないのか見直そ?
「ほっこりした」「世界の見え方が変わった」って、感動フィルターかけてるけど、それって“社会の機能不全を個人の善意でごまかしてる”だけじゃん。
優しいおじいちゃんがいなかったらどうなってた?その時も「感謝できる経験でした」とか言うの?
てか、こういう話が“美談枠”に収まってること自体が、もう末期じゃない?
「いい話に救われた」って毎回言ってるけど、それってつまり、毎回地獄見てるってことじゃん。
“やさしさ”って、個人に期待するもの?それとも制度で保証されるべきもの?
泣く前に、それ決めようぜ?
コメント:
1.素敵なお話、ありがとうございます♡夏の妊婦さんは暑くて大変ですよね。あと少し、ゆったりと過ごしてくださいね。
2.そのおじいちゃん、奥様が妊娠中からちゃんと労わって大切に接していたんですね😊 暑いですが、体調に気をつけて、出産頑張ってくださいね✨
3.お爺さんカッコいい❣️ いや、その前になぜ妊婦さんがわざわざバスでお米を買いに行かなくては行けないのか意味不明!旦那さんに行かせりゃ良いのに…てか、行くべき!
4.素敵なおじいちゃん!きっと今でも奥様にも優しいおじいちゃんですね! 主さんも暑いので、お身体大事にしてくださいね
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