冬のある日、インフルではなかったものの強い風邪で高熱を出し、私は布団の中でひたすら耐えていた。熱のピークがようやく過ぎ、意識がふわふわした状態で寝たり覚めたりを繰り返していた頃、当時の彼氏がお見舞いに来てくれた。
「寝てていいよ。そばにいてあげるから。」
その一言が本当に嬉しくて、思わず泣きそうになった。具合の悪いときに誰かが気にかけてくれるだけで、心がどれほど救われるものか。その時の私は、まさにそんな気持ちだった。
しかし、そこから先が地獄の始まりだった。
私がウトウトしはじめたころ、彼氏は友達からの電話に出た。
低く響く声で会話を始め、相槌を打つたびに「うーーーん」と癖のように唸る。その声が、熱で敏感になっている身体にやけに響く。耳ではなく、胸の奥、横隔膜あたりに直接来るような…そんな不快な振動だった。
相手の声は聞こえない。ただ彼氏が話し、少し間が空き、また彼氏が話す。
その繰り返し。
“会話の片側だけを聞かされるストレス”というものがどれほど強烈なのか、その時は身をもって理解した。内容が頭に入らない、でも声だけは強制的に届いてくる。布団の中で意識が揺れるほど苛立つのに、熱で動けず、文句を言う気力もない。
「電話やめてほしい…」
心の中で何度も思った。
けれど彼氏は“そばにいてあげてる俺、偉いでしょ”という雰囲気で、気遣いする様子もなく延々と通話を続けた。
浅く眠る、すぐ目が覚める、また眠る、また覚める。
その度に彼の「うーーーん」が、まるで悪夢の効果音みたいに響く。
気づけば何度も小さな悪夢を見ては飛び起き、心は休まらないまま夜が過ぎた。
風邪が治った後も、彼氏のあの独特の「うーーーん」という声を聞くだけで、胸の奥がザワッとするようになった。トラウマに近い不快感がどうしても拭えず、次第に彼への気持ちも冷めていった。
優しさで来てくれたのかもしれない。
でも、病人のそばで長電話を続ける無神経さは、どうしても受け入れられなかった。
「そばにいてほしい」と「そばにいられる」のは、似ているようで全く違う。
具合の悪い私に必要だったのは、静けさと休息だった。
結果、私はその違和感を無視できず、別れを選んだ。
今でも思い返すと「あれは仕方なかった」と思いつつ、同時に「やっぱり無理だったな」とも思う。
優しさのつもりでも、相手の状態が見えないなら、その優しさは届かない。
そんなことを改めて痛感した出来事だった。
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