昨日、久しぶりにモスバーガーに立ち寄った。普段は忙しくて外食の時間が取れないが、久しぶりに自由な時間ができ、気ままにモスバーガーに向かった。店内は少し賑やかで、席に座った私の周りもそれほど混んでいなかったので、ゆっくりと食事を楽しもうと思っていた。
しばらくして、隣の席に三十代前後の母親と、男の子が座ってきた。男の子はおそらく5歳くらいだろうか、年齢の割には少し落ち着きがなく、母親の周りを元気よく動き回っていた。私は特に気にすることもなく、オニオンリングを手に取って食べ始めた。店内の喧騒と、外からの風が混じったその瞬間、私は静かに食事に集中していた。
しかし、ふと男の子が私のオニオンリングを指差して、大きな声で「食ーべーたーいーー!」と叫んだ。
私は驚き、その声に思わず目を向けた。男の子は私のオニオンリングに目を輝かせていたが、その表情にどこか「欲しい」と訴えるようなものがあった。反射的に、「なんだ、こっちを見ているのか?」と思ったが、すぐにそれが単なる子供の無邪気な欲望だと気づいた。
男の子は手をバタバタと振りながら、「食べたい、食べたい、食べたい!」と、さらに激しく訴え始めた。体をブルブルと揺らしながら、私にそのオニオンリングを欲しがる様子が可笑しくもあり、少し不快でもあった。母親はその様子をスマホを見ながら無視しているかのように、特に何も言わなかった。
しばらくして、母親がようやく反応した。「1個ぐらいやれよ」と、私に向かって言ったのだ。
その言葉を聞いた私は少し驚き、そして呆れてしまった。なんで私が見知らぬ子供にオニオンリングを譲らなければならないのか。母親のその発言に、私は心の中で強く反発を覚えた。
「そんなに食いたいのか?」と、私は思わず声に出してしまった。男の子はその言葉に反応して、さらに「うん、食べたい!」と元気よく答える。しかし、私は譲る気にはなれなかった。
子供に無理に食べ物を与えるのは、私には理解できなかった。ましてや、その母親は何もせず、ただスマホをいじっているだけだ。
「そんなに欲しいなら、どうぞ。」私は思わず冷たく返した。男の子は私の反応に驚いた様子で少し黙り込み、しばらく私を見つめていた。しかし、その後も母親は私に対して「一個くらいやれよ」という言葉を繰り返し、完全に無視できなくなった。
その時、私は自分の中で何かが爆発しそうになった。母親の態度が信じられないくらいに無責任に感じ、私は言いたいことを言わなければならないと決心した。私は大きな声で言った。「君が欲しいなら、自分で買いなよ。こんなこと、知らない人に頼むことじゃないだろ?」と。
周りの空気が一瞬静まり返ったように感じた。
男の子はまだ私を見つめていたが、母親は少し驚いた顔をして、さらに何も言わずに黙り込んだ。結局、男の子はしばらくしてから、母親の元へ戻り、何事もなかったかのようにおとなしく座った。しかし、その瞬間、私は心の中で強い満足感を感じた。物乞いをするような行為を許すわけにはいかないという、私の意志がしっかりと通じた瞬間だった。
その後、私の食事は何事もなく続き、男の子と母親も静かに食事をしていた。私の心の中には、あの親子に対する怒りと、社会における「親の責任」ということについて深く考えさせられる思いが渦巻いていた。
この出来事を通じて、私は「他人のものを無理に奪おうとする行為」について考えるようになった。無責任な親が子供に物を与えず、他人に頼るという姿勢が、子供にどんな影響を与えるのか。最終的には、子供自身が自立心を持つことが大切であり、それを親が教えるべきだと改めて感じたのだ。
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