混雑したバスに大荷物を抱えて乗車する場合、周囲からの冷たい視線や気まずい思いをしたことがある方も多いのではないでしょうか。特に赤ちゃんを連れながら荷物を抱えるお母さんに対して、ときに心無い言葉を投げつける方もいます。
ある女性がベビーカーを押しながら混雑したバスに乗車しました。しかし、車内は通路に立っている程度の混雑であり、女性は他の乗客と同様に通路に立ちました。すると、前列にいた女性客の一人が、ベビーカーを押している女性に向かって非難の言葉を浴びせました。「こんなに乗客がいるのだから、ベビーカーをたたんで抱っこすればいいのに、わざわざこんな時間帯にベビーカーを乗せるなんて…」と言いました。この女性客は、ベビーカーが邪魔で先程まで空いていた座席に座ることができなかったようです。
しかし、近くの優先席に座っていたおばあさんが、女性客に声をかけました。「こちら、座っていいですよ。こっちの良い子と違って、あなたは癇癪起こしちゃったみたいだからね」と言いました。おばあさんの友人らしき女性も手招きしながら笑顔で迎えました。周囲の視線が女性客に注がれると、彼女は居心地が悪そうに出口付近まで移動してしまったそうです。
ベビーカーを押した女性は、戸惑いながらも助け船を出してくれたおばあさんにお礼を言いました。するとおばあさんたちは「子育てと介護が本当に大変なの。自分も親に子育てしてもらって、またいつか子供に介護してもらう日がやってくる。だから今は一生懸命その子を育ててあげて。みんなあなたと同じ想いをしているし、あなたの味方だから」と励ましてくれました。
この出来事から、公共の交通機関でのベビーカーの利用には配慮が必要であることがわかります。ベビーカーが邪魔になることは事実であり、女性客の言いたいことも理解できます。しかし、利用する方も見守る方もお互いに配慮し、気持ちよく利用できるようにする必要があります。ベビーカーの利用方法については賛否があるかもしれませんが、節度を持って利用できる日が来ることを願いましょう。
上記の内容への声
この一件は、公共の場における「想像力の欠如」と、それが引き起こす「無自覚な暴力」を見せつける、現代社会の縮図と言えるでしょう。確かに、ベビーカーが通路を塞ぐことはあるでしょう。しかし、だからと言って「たたんで抱っこすればいい」と安易に口にするのは、あまりにも想像力に欠けた暴言です。
「こんな時間帯に」という言葉にも、母親に対する決めつけと偏見がにじみ出ています。子育てに追われる母親にとって、外出の時間帯を自由に選べる余裕がないことなど、少し考えればわかるはずです。自分の都合だけを押し付け、他人の状況を想像しようとしない自己中心的な態度は、まさに現代社会の病理と言えるでしょう。
この女性客は、自分の思い通りにならない腹いせに、目の前の弱い立場の人間を攻撃したに過ぎません。
そして、このような無自覚な暴力は、往々にして「正論」の仮面を被って現れます。「ベビーカーが邪魔なのは事実」という言葉はその典型でしょう。しかし、本当に大切なのは、目の前の困っている人を助けたいという「想像力」と「思いやりの心」ではないでしょうか。
一方、おばあさんの言動は、私たちに大切なことを教えてくれます。それは、「弱者への共感」と「社会全体で子育てを支える」という意識です。おばあさんの言葉には、長年の人生経験で培われたであろう深い洞察と、他者を思いやる温かい心が感じられます。
この出来事を「ベビーカーの利用方法」の是非に矮小化してはなりません。真に問われているのは、私たち一人ひとりが、他者の立場を理解し、共に生きやすい社会を築いていくための「想像力」と「責任感」を持っているのか、ということです。
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