今年のお正月、私たち夫婦は義実家で過ごすことになった。私の旦那は不妊症。結婚してから3年が経ち、周囲のプレッシャーに耐えきれず、検査を受けた結果、彼が原因だと判明した。もちろん、私はショックを受けたが、それでも旦那が好きで結婚したし、何も変わらなかった。しかし、義母だけはそうは思っていなかった。彼女はどうしても私を悪者にしたかったようで、子どもができないことを繰り返し私のせいにして、イヤミを言い続けた。
旦那は何度も「僕が悪いんだ」と言い、母親を制止してくれたが、義母は頑なに私を非難し続けた。そのたびに言い争いが繰り広げられ、今年の正月も例外ではなかった。義父は毎回そのたびに「いい加減にしろ!」と義母に怒鳴り、三者の間で激しい口論が起こるのが恒例になっていた。
私は今年、義実家には行かないつもりだったが、義兄が海外から帰国し、義父がガンで余命宣告を受けたため、仕方なく顔を出すことにした。
そして、やはりその「やっぱり」な展開が待っていた。お正月の食卓で、義母はまた私に対して「子どもができないなんて」と嫌味を言い続けていた。旦那も耐えきれず、言い返そうとした瞬間、義父がまた声を荒げた。「いい加減にしろ!」その言葉に義兄が立ち上がり、台所から出刃包丁を持ち出して、テーブルにどん!と音を立てて置いた。
その瞬間、空気が凍りついた。義兄は真剣な表情で言った。「嫁子さん、すまない。お前たちがこんなことを言われ続けていたなんて知らなかった。親父、お袋、俺もこいつも種無しだ! いらない玉ぶら下げてるだけだ!」言葉が重く響き渡り、義母は驚きとショックで声を発することができなかった。
「嫁のせいじゃない。もしこれでわからないなら、この玉を取ってくれ。それが俺たちが生まれた責任だ。」その言葉に義父が深く息をついて、「本当にすまなかった。お前たちをこんな風に追い詰めて…」と涙を流した。
私も、そして義兄の奥さんも、涙が止まらなかった。旦那も黙って俯き、涙を流していた。義母はその場から黙って部屋へと去り、私たちはそれぞれ心の中で言葉を交わした。
義父は続けて、「俺が死ぬ前に、こんな思いをさせたくなかったんだ」と泣きながら話し、私はその言葉に胸が締めつけられる思いがした。
その後、義母が二階に上がってから、私たちは少し落ち着いて話し合った。義兄の奥さんと私は、これまでの不満や誤解をお互いに打ち明け、義父のためにも、もう少し考え直すべきだと話した。その結果、義母も素直に謝り、私たちは和解することができた。義父の希望もあって、最後にはみんなでカラオケに行くことになった。義母も義父と一緒に歌い、笑い合い、過去のわだかまりが少しずつ解けていくのを感じた。
カラオケでは、義父が楽しそうに演歌を歌い、義兄と旦那が肩を組んでマシンガンのように歌い、義母と義兄の奥さんはダンシング・クイーンを歌いながら仲良く笑い合っていた。
最後には、義父がセレクトした「サライ」をみんなで歌い、楽しい時間を過ごした。義父はとても嬉しそうで、私は心からよかったと思った。
結局、今年のお正月は私たちにとって初めて心から楽しいものとなった。和解ができたことで、私たちはこれからもっと多くの楽しいお正月を迎えられるといいなと思った。義父が言ったように「終わりよければすべて良し」だ。
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