私は19歳の時、母の余命が半年と告げられた。その時、私は人生を一変させる決断を下した。その不安と悲しみを抱えながらも、私は結婚を決意した。旦那は8つ年上のバツイチで、前妻との間に3人の子供がいた。前妻は子供たちを育て、旦那は養育費を払い続けていた。
私が21歳の時、息子を出産した。息子が生後3ヶ月の時、3.11の大震災が発生した。私たちが住む関西には直接的な被害はなかったが、旦那の前妻の実家が東北にあったため、すぐに状況が不安定になった。
数日後、旦那の元義父から連絡が来た。前妻とその母親が震災で亡くなり、3人の子供たちが取り残されているということだった。旦那はその場で「子供たちを引き取ろう」と決断した。私は初めての育児で、息子がまだ小さかったため、すぐに4人の子育てが始まることになるとは思いも寄らなかった。
引き取った子供たちは、まだ小学校1年生と2年生、年中の3人。母親と祖母を一度に失い、震災の混乱の中で新しい環境に適応しなければならない子供たちも、私にとっては他人の子供ではなく、我が子のように感じていた。しかし、現実はそう簡単ではなかった。実家もなく、旦那の実家も非常に複雑な家庭環境で、最初の数ヶ月はまさに修羅場だった。
それでも、私は何とかやっていこうと決心した。子供たちが新しい環境に慣れ、私も自分の新しい役割を果たせるように努力した。時には不安になり、涙を流すこともあったが、子供たちはとても素直で優しい子たちだった。みんなで過ごすうちに、少しずつ絆が深まっていった。
そして、2年が経とうとしていた先週、私の誕生日に子供たちが手紙を書いてくれた。
その手紙には、こんな言葉が書かれていた。「私たちのお母さんになってくれてありがとう。いつもおいしいご飯をありがとう。ママのお祈りありがとう。○○ちゃん、大好き」
その言葉を読んだ瞬間、私は涙が止まらなかった。まだ子供たちが小さい頃、彼らがこんなに心温まる言葉をくれるとは思ってもいなかった。震災で多くの人々が傷つき、私たちも試練の中で生きていたが、こうして彼らの感謝の気持ちを感じることができるのは、何よりも私の支えになった。
これからもたくさんの困難が待っていることは分かっている。しかし、子供たちと一緒に過ごす時間が、私の人生の中で最も大切なものだと心から思う。私が彼らの母親になってからの日々は、何度も心が折れそうになったけれど、今ではそのすべてが貴重な思い出となり、私に力を与えてくれている。
子供たちと一緒に笑い、泣き、支え合いながら歩んできた道のり。それがどんなに大変でも、私たちは一緒に乗り越えてきた。そして、これからも彼らを守り、愛し続けていきたい。私が彼らにとっての「お母さん」であり続ける限り、どんな困難でも乗り越えられると信じている。
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