原因不明の病に苦しむ息子は痙攣を起こすこともあり
一日に何度も生死の境を行き来する状況が続きました。
ICU(集中治療室)の中で息子には何本も管が付けられ、
むずかるため一日中眠らせる強い薬が打たれていました。
デンヒル・タンさんは息子が眠るベッドの横で
ずっと看病を続けてきました。
看病は実らず、
遂に息子は自発呼吸ができなくなるほど症状が悪化し、
酸素吸入器が取り付けられました。
デンヒル・タンさんは息子に付けられた針や管、
そして酸素吸入器などを見ることに耐えられませんでした。
医師からはもう見込みがないと言われ、
愛する息子に自由を与えたくなったデンヒル・タンさんは
息子の体に付いた酸素吸入器を外す決断をします。
次第に冷たくなっていく息子の耳元で
デンヒル・タンさんは「大好きだよ!」と囁きました。
そして息子は父親のそばで死を迎えました。
デンヒル・タンさんはこの様子の写した写真と共に
「ずっと忘れないよ」
「これから空の国で楽になってね!」
「愛しているよ」
とのメッセージをFacebookに投稿しました。
この投稿は多くの人にシェアされ、大きな反響を呼んでいます。
子どもに先立たれるのは親にとっては何よりもつらいことです。
自分の手で酸素吸入器を外すのは
どれだけつらいことだったことでしょうか・・・
ネットから上記の内容への見解:
デンヒル・タンさんの決断は、親として最も辛い選択だったに違いありません。愛する息子を、自らの手で死へと導く決断は、どれほどの苦悩と葛藤を伴ったことか。しかし、同時にこの決断は、息子の苦しみを終わらせるという、究極の愛の表現であったともいえます。
息子が苦痛に喘ぐ姿を見続けるよりも、愛する息子に安らぎを与えたいという、親としての切実な願い。この行動の裏には、医学的な判断だけでなく、深遠な愛情と、息子の幸せを願う強い意志が見て取れます。
しかし、一方で、息子の死を安楽死と捉え、その行為を美談として流す風潮には、疑問符を投げかけざるを得ません。確かに、愛する人を苦しみから解放したいという気持ちは理解できます。しかし、安楽死は決して簡単な問題ではありません。
生命の尊厳、医療倫理、そして安楽死の是非など、多くの議論を巻き起こす可能性を孕んでいます。この事件を通して、我々は安楽死という問題について、改めて深く考える必要があるのではないでしょうか。
デンヒル・タンさんの決断は、多くの人々に深い感動と共感を呼び起こしました。しかし、同時に、この事件は安楽死という難しい問題への議論を再び活発化させる、大きな火種となる可能性も秘めているのです。
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