去年の3月、父は長年勤めた会社を定年退職した。兄と私は、退職祝いとして父に携帯電話をプレゼントした。退職前、父は「携帯なんて必要ない」と言っていたが、プレゼントを受け取った時の父の顔には嬉しさが溢れていた。その笑顔を見て、私たちも満足感でいっぱいだった。
父は新しい携帯電話の使い方に悪戦苦闘していた。兄と私は根気よく基本的な操作を教え、まずはメールの送り方を教えた。父は一生懸命に聞いてくれて、最初のメールを私に送ってくれた。しかし、待てども待てども返事は来なかった。
それから数ヶ月が過ぎ、6月のある日、父は脳出血で倒れた。突然のことで、私たち家族は悲しみと驚きで呆然とした。孫の顔を見ることなく、父はあっけなくこの世を去ってしまった。
40年間働き続けた父が、ようやくホッとしたのはわずか2ヶ月だった。
葬式が終わり、家族で父の遺品を整理していた時、父の携帯電話が目に入った。何気なく開いてみると、未送信のメールが一通保存されていた。それは、父が私に宛てた最初で最期のメールだった。画面には「送信されていません」という文字が表示されていた。
涙が止まらなかった。私は震える手でそのメールを開いた。そこにはこう書かれていた。
「お前からのメールがやっと見られた。返事に何日もかかっている。お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。孫が生まれたら毎日子守してやる。」
父は私からのメールをようやく見つけ、返信しようとしていたのだ。文字通り数日かけて打ったであろうそのメールは、まるで父の声が聞こえてくるようだった。
私は涙を流しながら、その送信ボタンを押した。これが父と私の最初で最後のメールのやり取りだった。
このメールは私の一生の宝物になった。
父が遺してくれた最後のメッセージ。彼が私たち家族に伝えたかったことが、その短いメールに凝縮されていた。父の優しさ、家族への愛情、そして孫を楽しみにしていたこと。それらすべてがこの一通のメールに詰まっていた。
父は頑固なところがあり、携帯電話やインターネットには疎かった。それでも私たち家族のために、新しい技術に挑戦し、メールを送ろうとしてくれたその気持ちが胸に沁みた。父が亡くなってからも、そのメールを見るたびに父の存在を感じることができた。
退職後の父は、自由な時間を楽しむことができたのかもしれない。毎日が日曜日だと言っていた父の声が、今でも耳に残っている。父が生きていたら、孫を抱いて幸せそうに笑っていたに違いない。その光景を想像すると、自然と笑みがこぼれた。
父の携帯電話は、今でも私の手元にある。あの日、父が送ろうとしたメールは私の心に深く刻まれている。父の思い出と共に、そのメールは私の一生の宝物として大切に保管されている。
この出来事を通して、家族の大切さを改めて実感した。父の思い出を胸に、私はこれからも家族を大切にし、生きていこうと誓った。父が遺してくれた最後のメッセージは、私にとって一生忘れられないものとなった。
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