二ヶ月ほど前、同僚は突然、人生で最大の困難に直面した。彼女の義母が脳梗塞で入院していたのだが、ある日、その旦那が急に「家族会議を開く」と言って出かけ、帰宅後には「母さんが退院したら、家に連れて帰ってくる」と宣言したのだ。
同僚にとって、これは全く予期しない出来事だった。義母とは過去にいくつかの衝突があり、特に、嫌味や嫌がらせをされていたため、義母が自宅に戻ることは心情的に受け入れがたい状況だった。それでも、旦那は「もう決まったことだ!」と言って、病院と話を進め、わずか四日後には本当に義母を連れて帰ってきてしまった。
この急な決定に対して、同僚は驚きとともに反発した。「あなたの言った家族会議には、私は含まれていなかった」と訴えた同僚。
旦那はその言葉に無頓着で、「お前は介護するのが仕事だろう、母さんのこともちゃんとやれよ」と言い放った。この言葉に、同僚はさらに強く反発する。
「あなたの言った家族会議に、私は含まれなかった。ということは、私は家族じゃない。家族じゃない人の世話はしない。私は介護職で、仕事として介護をしている。仕事以外の介護をするいわれはない」その瞬間から、同僚は旦那のための家事を一切拒否し、家の中で家庭内別居の状態が始まった。
義母は後遺症として軽い麻痺が残ったものの、身の回りのことを何とか自分でこなしていた。義母は息子である旦那の服を洗濯したり、料理を作ったりしていたが、その料理はどれも砂糖と醤油だけで煮込むようなシンプルなもので、決して上手いとは言えないものだった。
ところが、周囲の反応は予想外だった。特に、若い同僚たちがその対応に対して厳しく非難した。「それって虐待じゃないか?ネグレクトだろう」といった声が上がったのである。年寄りに関わる仕事をしているからか、彼女たちは高齢者のケアに非常に敏感だったのだろう。しかし、同僚はその批判に対して冷静に反論した。「これは虐待ではない。リハビリだ。
」と彼女は笑いながら言った。
同僚自身も、「旦那のやり方が一番悪いとは思っている」と認めていたが、それでも自分が完全に悪いわけではないと感じていた。しかし、この問題はどうしても解決の糸口が見つからず、家族内での亀裂は深まるばかりだった。
この出来事を聞いた私たちの感想は、正直言って「よかったね」と思える部分もあった。しかし、これから先、この家庭がどのように変わっていくのかは誰にも分からない。
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