義母(トメ)と小姑(コトメ)は、長年にわたって独自の言語、いわば「トメコトメ語」を使って私を嘲笑ってきた。「イジタカリ」「ダダコキ」など、何となく意味が推測できる単語もあるが、「ナンバノソッパニ」といった料理名に至っては、見当もつかない。
彼女たちはそれを面白がり、私が会話の内容を理解できないことをネタにしていた。だが、当時は別居していたため実害はなく、私は静かに距離を保ち、聞き流して過ごしていた。
しかし、事態が変わったのは、トメに認知症の兆しが見え始めてからだった。
ある日、突然コトメから「同居して介護しろ」と命じられた。私は即座に「できません」と拒否。その翌晩、トメを連れたコトメと義兄(夫の兄)、さらにはトメの妹たちまでが我が家に押しかけてきた。
彼らは皆で私に介護を強要し始めた。
今まで傍観していた夫もこの時ばかりは怒りを爆発させたが、私は彼を制止し、静かに現実を伝えた。「皆さんご承知の通り、私はトメさんの言葉を理解できません。会話が成立しない以上、介護を担うことは物理的に不可能です。もちろん気持ちの上でもやるつもりはありません。」
そう明確に述べると、トメとコトメは例のごとく「トメコトメ語」で私を罵り始めた。だが今回は、それを逆手に取ることにした。「では、今トメさんが話された内容を、標準語に翻訳して紙に書いてください。相談はなしでお願いします。」
私はそう言って全員に紙を配布した。答え合わせの結果、正確に意味を読み取れていたのはコトメただ一人。
夫も義兄も、トメの妹たちも、まったく理解できていなかった。
これで全員がようやく状況を把握した。「これでは、確かに“無理”ではなく“不可能”だ」と、義兄やトメ妹たちも納得した様子だった。
最終的に、トメの介護は同居していたコトメが単独で行うことに正式決定。本人はなおもトメコトメ語で騒ぎ立てたが、義兄が一言。「お前しか意思疎通できないんだから、お前が責任取れ。」
私は内心で思った。これまでトメとコトメの傲慢な言動を見て見ぬふりをしてきた家族全員にも、少なからず責任はあるのではないかと。しかし、それを言葉にすることはなかった。
静かに幕を下ろした「トメコトメ語劇場」。その代償は、あまりに皮肉な形で当人たちに返ってきたのだった。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
次のページ引用元:https://www.youtube.com/watch?v=v7ECFvcls88,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]