私が結婚したとき、夫と相談して「婚約指輪」の代わりに選んだものがあった。
それは、某高級ブランドの自動巻き腕時計。職場の事情で指輪を身につけられない私たち夫婦にとって、常に身につけていられる時計こそが、愛の証となる「一生モノ」だった。朝起きてから夜寝るまで肌身離さず着けている、私にとってかけがえのない存在である。
ところがある日、その時計を義兄嫁が目を輝かせて見つめ、「ちょっと貸してくれない?」と軽い調子で言ってきた。最初は冗談だと思ったが、どうやら本気らしい。しかも彼女は続けてこう主張したのだ。
「私の婚約指輪のダイヤ、立て爪のやつを貸すから、交換でいいでしょ?」
思わず苦笑してしまった。私はダイヤに興味がないし、なによりこの時計は夫と選んだ特別な品。冗談半分でも貸せるはずがない。丁寧に断ると、彼女は「そんな冷たいこと言わないでよ」と食い下がってきた。
それから一ヶ月。会うたびに同じ要求を繰り返してくる義兄嫁に、私は辟易していた。
「無理です。大事なものだから。」
「毎日つけてるから貸せません。」
そう何度も説明しても、彼女は引き下がらない。やがてある日、ついに彼女は涙を流しながら叫んだ。
「なんで貸してくれないの!? 私がどれだけ困ってるか知らないでしょ!」
あまりに取り乱した様子に驚き、理由を問い詰めると、彼女はとうとう本音を吐き出した。
――ママ友のひとりが、私と同じ時計をしていたらしい。
そのママ友に自慢されたのが癪に障り、とっさに「うちにも同じものがある」と嘘をついてしまった。だが実際には持っていない。どうしても証拠が欲しいから、私の時計を借りて見せびらかしたいのだと。
小学生のような理由に、私は呆れるしかなかった。泣いて迫られても、そんなくだらない嘘のために大切な時計を差し出す気にはなれない。私は夫と義兄に事情を説明し、彼女の嘘を暴露した。
その場はなんとか収まったものの、義兄嫁の顔は見るも無残に真っ赤になり、逃げるように部屋を後にした。
だが、その後さらに驚くべき騒動が起きた。
義兄嫁は自分の婚約指輪を質屋に持ち込み、現金化しようとしたのだ。その金で中古のロレックスを買えば体裁を保てると考えたらしい。ところが、査定額は思った以上に低く、到底ロレックスには届かない金額だった。結局、店員にも鼻で笑われ、大恥をかいたのだという。
もちろん、ママ友たちにはあっという間に嘘がバレた。
「同じ時計を持っている」と豪語していたのに、実物は出てこない。やがて義兄嫁の見栄と虚言は近所中に知れ渡り、彼女は人目を避けるように引きこもってしまった。義兄も呆れ果て、夫婦仲は冷え切ったと聞く。
一方、私はというと――特に何もしていない。ただ「貸せない」と言い続けただけだ。
だがそれが結果として、義兄嫁の嘘を暴き出し、彼女自身を追い詰めることになった。
大切なものは大切だと、毅然とした態度で守らなければならない。あの日、もし私が根負けして貸していたら、もっとややこしい事態になっていたに違いない。
今も私は、その時計を毎日腕に巻いている。夫と共に選んだ、世界にひとつだけの証。何よりも重いその意味を、改めて噛みしめながら。
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