玄関のチャイムが鳴った時、私は手元の新聞をゆっくり閉じた。現妻の優子が「お客様ですよ」と呼ぶ声に応じて玄関へ向かう途中、「平穏な休日が続く」という小さな期待を抱いていた。だが、戸を開けた瞬間、その期待は粉々に砕けた —— 門口に立っていたのは、17 歳ほどの少女で、その眼差しは怯えながらも、何かを強く求める光を宿していた。
「… お父さんですよね?」少女が小さく問いかけ、私の呼吸が一瞬止まった。16 年前の辛い記憶が、悪戯によみがえってくる。当時、前妻の不倫が露呈し、さらにその相手の子供を托卵して妊娠していた事実が明かされた時の衝撃、怒り、そして絶望感が、今も肌を刺すように鮮明だ。離婚を選んだ後、法律上は私の養女となったこの少女を、私は意図的に記憶から遠ざけてきた。
少女は指を絡めながら、口元をぶつぶつ動かした。「大学に行きたいので… お金を出して下さい。祖母が体が悪くて、祖父は寝たきりで…」その言葉を聞くと、私の胸が締め付けられる。
彼女の遺伝子提供者である前妻の不倫相手は 10 年以上前に自殺し、昨年末には前妻自身も、相手を変え続ける荒んだ生活の末に逝去したという。少女は母親の顔すらよく知らないまま、高齢の祖父母に寄り添う生活を強いられてきたのだ。
「最初は、実父の家に行ったんです。でも… 玄関で話すだけで水を掛けられて、警察を呼ばれちゃいました」少女が頭を下げる姿を見ると、同情と、過去の自分の逃避を責める思いが入り混じった。16 年ぶりにかつての義理父母の家を訪れた時、義理の母がヨボヨボと体を震わせながら「この子は可哀想で… どうしようもないのよ」と泣く姿を思い出し、心が痛んだ。
優子が私の背中に手を当てた。彼女は子供を産むことができない体だが、その眼差しはいつものように優しかった。「貴方が彼女を産まれて 2 年間可愛がっていたのは事実だよ。血が繋がっていようがなかろうが、娘というのは変わらないんだ」優子は少女の肩に手を回し、柔らかく話しかけた。「旅に出た子供が帰ってきたと思えばいいの。過去のことはどんなに酷くても、この子に罪は一つもないわ」
その言葉が私の心の中のモヤモヤを少しずつ解かしてくれた。日曜日に、かつての義理父母の家に挨拶に行き、「4 月からはこの家から高校に通わせ、大学進学を応援する」と約束した時、義理の母は感謝の涙を拭きながら「本当に… ありがとう」とつぶやいた。
今では、優子と少女の制服を選ぶこと、高校の入学者説明会の日程を調べることを通じて、少しずつ「家族」としての形を作っている。だが、16 年前のトラウマが完全に消えるわけではなく、「この先、本当に大丈夫か」という不安も時折湧いてくる。
でも、少女が家で勉強する姿を見ると、その不安は薄れる。彼女が「お父さん、この問題、分からないんです…」と尋ねてくる時、優子が笑顔で「一緒に考えよう」と応える様子を見ると、私は改めて「この選択は間違っていない」と思える。過去の不幸を理由に少女の未来を奪うことはできない。今後は、法律上の関係だけでなく、心から信頼し合う家族になっていけるよう、優子と一緒に歩んでいきたい。
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