夕食の支度をしていたある日のこと。生後三か月の子どもがぐずり続け、泣き止む気配がなかった。夫が抱いてあやしてくれていたが、私はどうにも気になり「もしかしたら熱があるかもしれないから、体温を計って」と声をかけた。
二階のリビングを探しても見当たらなかったらしく、私は「そこになければ一階だよ」と言い残して台所に立ち続けた。けれども赤ん坊の泣き声は止まらない。15分、いや30分近く経っただろうか。再び「熱、あった?」と聞くと、夫は平然と「まだ」と答えた。
思わず声を荒げてしまった。「なんで?取りに行ってよ!」
すると夫はむっとした顔で「こっちはあやしてるんだ、取りに行けるわけないだろ」と言い返す。
私は「いいから取りに行って!」と重ねた。次の瞬間だった。
――バンッ!
壁に響くほどの音で、夫が電気のスイッチを叩きつけたのだ。
私も赤ん坊も驚いて固まった。胸の奥から込み上げる恐怖と怒りに震えながら、私は絞り出すように言った。
「そういうの、DVなんだよ。」
しかし夫は反省するどころか、冷ややかに「お前の言い方が悪い」と返してきた。確かに私の言葉はきつかったかもしれない。それでも、あの音を伴った行為は明らかに威嚇であり、恐怖を与えるものだった。
結局その場は「ご飯を食べよう」と形だけ仲直りのような流れになったが、夫は二度と同じことをしないと約束したわけではない。心の中にモヤモヤが残ったまま、私は食卓に向かった。
そして、腹立ちまぎれに小さな仕返しを思いついた。夫が毎日座るダイニングチェア。その上に置いてあるバランスクッションを裏返し、無数のトゲトゲが上に向くようにしてやったのだ。座ればチクチクと不快な痛みが走るはず。
夫は気づかず腰を下ろした――が、すぐに顔色を変え、椅子を蹴り飛ばした。
「ふざけるな!」
その怒声に赤ん坊が再び泣き出し、私の胸は冷え切った。
夫からすれば「俺を挑発した」と感じたのだろう。だが私にとっては、日々積み重なる小さな暴力の象徴に過ぎなかった。
その夜、私は決意した。これ以上この人と共に暮らすことはできない、と。
離婚の意思を告げると、夫は意外にも抵抗しなかった。ただ一言「好きなのを持って行け」とだけ言った。私は服と鍋と布団、それだけで十分だと答えた。子どもを抱え、新しい生活の準備を始める覚悟が整ったのだ。
市営住宅にすぐ入居できるのか、母子家庭に支援が手厚い地域はどこか――そんな現実的な問題が頭をよぎる。家電も新しく揃えなければならない。前途は不安ばかりだが、それでも今の生活を続けるよりはるかにましだ。
電気のスイッチを叩く音。椅子を蹴り飛ばす音。それらは私の心に深く刻まれ、決断を後押しする警鐘となった。
子どものため、自分のため、私は新しい人生を歩み出す。
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