三年前のことは、今でも胸に生温かい痛みを残している。夫の浮気が発覚したとき、最も私を責め立てたのは義母と大義母――「嫁が悪いからだ」と決めつけ、我が子を奪おうと家裁にまで足を運び説教を重ねた。夫はその混乱の中で揺れたが、最終的に私たちはやり直す道を選んだ。しかし、その代償として義母と大義母とは完全に絶縁することになった。私と我が子は、彼女たちの名を口にすることすら許されない静かな日常を手に入れた。
当初は毎夜、怒りと悲しみで眠れなかった。誰よりも信じていた家庭が裏切られ、そして義家から追い立てられた無力感は、簡単に消えるものではなかった。しかし三年の時は少しずつ傷を癒してくれた。
義母たちのことを思い出して涙が出ることは、だいぶ減った。夫が「老い先短い年寄りだから」と言って大義母を訪ねることも、私は距離を置いて受け止められるようになった。
だが、昨夜の夫の一言は、胸の奥に封じた感情を一気に呼び覚ました。
「11月の連休に大トメを泊まらせていい?」──シンプルだが重い提案だった。
夫の気持ちは理解できる。自分を育ててくれた大義母に、一生の買い物であるマイホームを見せたい。子や孫の成長を見せたい。夫は幼少期を大義母に預けられて育ち、義母は生みっぱなしで育児に関与が薄かったという背景もある。だから彼にとって、母に我が家を見せることは感情的な意味を持つのだろう。
それでも、私の胃はきゅっと締めつけられた。義家にされた仕打ち、家庭裁判所での辱め、私と子が受けた心の傷を思うと、彼らが我が家の敷居をまたぐ光景を想像するだけで涙があふれた。
子どもがあの人たちと接触することを許すわけにはいかない──そういう本能的な拒絶が、理性の上に立ちはだかる。
自分が心の狭い人間に思える瞬間もある。年老いた者に情けを掛けられないのか、と自責の念が湧く。だが同時に、情けとは一方的に与えるものではなく、受け手の態度と過去の行為に応じて慎重に判断されるべきものでもある。義家の言葉と行為が、私と子に計り知れぬ痛みを与えたことは、決して忘れてはならない事実だ。
怒りの果てに、私の頭をよぎった過激な考え――「離婚するか、義母たちを……」というとんでもない言葉も、震える胸から出た嘆きに過ぎない。暴力や破滅に訴えることは問題を解決しないし、自分自身をも滅ぼす。ここで重要なのは、感情を昇華させ、子どもの安全と心の平穏を最優先にした現実的な判断である。
私の中で今求められているのは、断固たる境界線の設定だ。夫には、私と子どもの心情を誠実に理解し、尊重してもらわなければならない。大義母を招くのであれば、私たちの同意が前提であり、訪問の範囲・監督・滞在の時間帯など明確な条件を文書化して合意する必要がある。そうした措置なしに「泊まらせる」という一言を許すわけにはいかない。
結局のところ、私が望むのは「心の平穏」だ。過去の傷をえぐるような出来事を繰り返さず、子どもが安心して暮らせる居場所を守ること。そのために必要ならば、専門家の助言を仰ぎ、夫婦でカウンセリングを受け、具体的な家族関係のルールを定めるつもりだ。
感情は尊重されるべきだが、行動は理性で制御されねばならない。
夫に対しては、誠実な説明と妥協の提案を求める。夫婦の選択が子どもの安全と心の平穏を最優先にするものでなければ、再び同じ痛みを繰り返すことになる。その覚悟が固まれば、どのような結論を出すにせよ、その先にあるのは冷静で確かな一歩だろう。
三年の時間は、私にある程度の回復をもたらした。だが完全な許しには、まだ長い道程が必要だ。連休の訪れは、過去と向き合う試金石になるだろう。私の答えは、子どものための安全と私自身の心の平穏を守る選択であるべきだと、今は静かに決意している。
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