ラーメン二郎に行った時の話です。その日は店内が混んでいて、私はカウンター席の後ろに並んでいました。隣には男子高校生のグループとカップルがいました。カップルは以前に別の店舗で食べたことがあり、「ここのお店はどんな味かな?」と和やかに話していました。一方、前に並んでいた男子グループは初めて二郎に来たようで、目の前で食べているお客さんを見て「マジで『マシ』って言ってるw」とバカにする口調で大声で話していました。彼らの態度はやや嫌な感じでした。
その後、彼らは全員がトッピングも麺も特盛りを注文しましたが、私は麺を少なめに注文しました。すると男子グループから「だっさ!」と言われました。一人席が空いたので、私が先に通されて食べ始めました。
その後、カップルと男子グループも席に着きました。
二郎のラーメンはとてもボリュームがあります。男子グループは大盛りラーメンを見てまたはしゃぎ、「無理wこれ、インテリアレベルw」とか「これ作ったやつ、頭おかしいんじゃねえの?」と店員の前で騒いでいました。彼らは事前に二郎について調べていたはずなので、予測できたはずです。しかし、騒ぐばかりで箸を付けませんでした。
一方、カップルの席には彼氏の前に特盛り、彼女の前には小盛りが置かれました。彼女はスムーズに特盛りを食べ始めました。彼女はとてもすばらしかったです。リズミカルに食べ進め、たった10分で完食しました。そして、「混んでるから、外で待ってるね」と言って、颯爽と去っていきました。
その後、男子グループは静かになり、食べ始めましたが、私が食べ終わって店を出る際、彼らが「すいません…食べきれません…」と弱々しく言っているのが聞こえました。見かけで判断するのは失礼かもしれませんが、彼女さんはとても小柄で可愛らしい方でした。店員さんが勘違いして大盛りを置いてしまったのも仕方ないと思いました。彼女にはそんなつもりはなかったかもしれませんが、彼女の行動はすばらしかったです。
私も二郎に行ったことがありますが、隣でダラダラと食べる人たちを見ると、少し怖く感じます。
上記の内容への声
ラーメン二郎という店の存在自体が、ある種の社会実験なのではないかということだ。二郎系ラーメンのあの圧倒的なボリュームは、客に単なる食事以上の体験を強いる。それは食との対峙であり、己の限界への挑戦であり、そして時に、周囲への配慮を試される場となる。
カップルと男子高校生の対比が、そのことを如実に物語っている。初見で騒ぎ立て、大盛りを前に虚勢を張る男子高校生たちの姿は、まさに現代社会における「見掛け倒し」の縮図と言えるだろう。彼らは情報だけは一人前で、SNS映えするような言動を真似てはみるものの、その実、中身は伴っていない。
食べきれないほどの量を注文しておきながら「頭おかしいんじゃねえの?」と責任転嫁する姿には、憤りすら覚える。
一方、小柄な彼女が、涼しい顔で特盛を平らげる姿は、爽快ですらある。彼女は決して無理をしているのではなく、自分の胃袋と相談し、美味しく完食できる量を理解した上で注文しているのだろう。その姿は、周囲の目を気にせず、自分の価値観で生きる現代女性の強さを象徴しているかのようだ。
二郎という特殊な空間において、ラーメンは単なる食べ物ではなく、その人の本性を映し出す鏡となる。食べ方一つで、その人の教養、人間性、そして生きる上での強さや脆さまでが露わになってしまうのだ。 背伸びをして虚勢を張り、周囲に迷惑をかけるような生き方ではなく、彼女のように自分の実力をわきまえ、凛と生きる姿こそ、私たちが目指すべき理想なのではないだろうか。
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