高瀬京子、52歳。私は在宅でウェブデザイナーの仕事をしながら、11年間、義母の介護を続けてきました。
夫を亡くしたのは11年前のことです。夫は仕事で疲れ切った体で、母親である義母に頼まれ、買い物へ向かう途中で事故に遭いました。そして帰らぬ人となったのです。
当時、私は幼い娘・なおを抱え、深い悲しみの中にいました。しかし、義母は私を責め続けました。
「息子が事故に遭ったのは、あなたにも責任がある」
「長男の嫁なら、私の面倒を見るのは当然でしょう」
今思えば理不尽な言葉でした。でも、夫を失った罪悪感と、残された家族を守らなければという思いから、私は何も言い返せませんでした。
それから私は義母と同居し、毎日の介護を始めました。
義母は下半身が動かなくなっていましたが、口は達者でした。食事の準備、掃除、病院への付き添い、生活の世話。朝から夜まで休む時間もありませんでした。
その一方で、義母は資産家の家系で、多額の遺産や不動産を持っていました。それでも生活費や医療費を私に負担させ、自分の財産を家族のために使おうとはしませんでした。
苦しい生活の中でも、私が耐えられたのは娘のなおがいたからです。夫を亡くした時はまだ11歳だった娘は、私を励ましながら成長し、努力を重ねて大学へ進学しました。
しかし、義母はそんな孫娘にも冷たい態度を取りました。
反対に、次男の次郎とその妻・秀美には甘い顔を見せました。秀美が月に二回、病院へ付き添うだけで「本当に優しい嫁だ」と褒め称えるのです。
一方、毎日介護をしている私には感謝の言葉ひとつありませんでした。
ある日、秀美は私に言いました。
「お兄さんが起こした事故の責任を、どうして私まで負わなければならないんですか? お母さんの介護は京子さんの役目です」
その言葉に、私は深く傷つきました。
それでも私は耐え続けました。いつか義母も私の気持ちを理解してくれるかもしれない。
そう信じていたのです。
しかし、ある日、すべてが変わりました。
娘のなおが海外の通訳会社への就職を決めたことを、私は嬉しくて義母に報告しました。
「おばあちゃん、なおの就職が決まったの」
すると義母は喜ぶどころか、冷たい声で言いました。
「どうせ大した会社じゃないんでしょう」
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次のページ引用元:https://www.youtube.com/watch?v=0rrX3FFmILM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]