この話は、私が彼とのデートで感じた「やってもらっていることへの無自覚さ」に関するものです。
最初に、彼から「たまにはご飯代を出してほしい」と言われた時、私は内心で「ん?」と違和感を覚えました。しかし、喧嘩を避けたかったので、「いいよ」と返事をしました。その後、次のデートでランチ代(1000円ちょっと)を私が負担しました。
しかし、彼が「ご飯代を出してほしい」というお願いをし始める頻度が増えていったので、さすがに話を切り出さざるを得ませんでした。私たちのデートは月に2~3回程度で、他の日は主に家で過ごしていました。その際の食費は私が負担しており、週に2回ほどの自炊が基本でした。
デート時のご飯代について、私は最初は彼に任せていたのですが、次第にご飯代の負担は私たちの間で半々になってきました。私は「ご飯代の負担はこのままでいいけど、家でのデートの場所も半々にしよう」と提案しました。すると、彼は私の車を使うことが多く、駐車場の問題から私の家に来ることを避けたのです。
その時点で、私は彼に「おかしい」と感じていたことを伝えました。彼は、自分が無自覚に私に負担をかけていたことを理解していなかったのです。私は、バイクしか持っていない彼が遊びに来たときには、私の車を使わせたり、食事を出したり、Netflixで一緒に過ごしたりしていたことを説明しました。月に数回食事を奢ってもらうだけでは、このままでは私の負担が大きすぎると感じていたのです。
最初、彼はその状況を「気付かなかった」と言いました。どうやら彼は、私が自炊で作るオムライスなどが予想以上にお金がかかることに気づいていなかったようです。
卵の値上がりなど、食材のコストが増えているのは当然ですが、彼はその点に無頓着でした。私は、彼が来るときは普段よりも具材をたっぷり入れて、何品か追加して料理を作っていたので、それがどれほど費用がかかるか理解してもらえませんでした。
私は無意識に「自分がしてあげていること」に盲目になっていたのだと気づきました。結局、彼は自分が私のように家でおもてなしをすることが難しいことを認めました。それを受けて、私たちは以前のように、お互いの負担割合を戻すことに決めました。
この経験を通じて、私は「得意不得意」や「できることできないこと」があることを再認識しました。
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