結婚生活とは、時に忍耐の連続である。しかし、その忍耐にも限界というものがあることを、夫は理解していなかった。
ある夜、夫は食卓で唐突に切り出した。 「お袋が体調を崩した。お前、今の仕事を辞めて実家に戻り、母さんの介護に専念してくれないか」
耳を疑った。義母はまだ60代で、介護が必要な状態には程遠い。せいぜい、家事の手伝い程度だ。それに、私たちは共働きで住宅ローンを抱えており、私の収入がなければ生活は立ち行かない。
「無理よ。今の仕事を辞めたら、今の生活水準は維持できないし、ローンの支払いも滞るわ」
私が現実的な数字を挙げて反論すると、夫は顔を歪め、冷酷な言葉を吐き捨てた。
「お前は金ばかりだな。家族の絆より金が大事か? なら、もういい」
夫は鞄から一枚の紙を取り出し、テーブルに叩きつけた。
離婚届だった。 「本気で言っているのか?」と聞く私に、彼は鼻で笑って答えた。 「ああ、本気だ。お前が俺の言うことを聞けないなら、一緒にいる意味はない。書いておけ。よく考えておけよ、お前一人が後悔するんだからな」
その瞬間、私の心の中で何かが切れる音がした。愛想が尽きた、という言葉では足りない。もはや、この男には憐れみすら抱けなかった。
翌朝、私は迷わずペンを取り、離婚届に署名・捺印した。夫の欄はすでに記入済みだった。夫はきっと、私が泣きついてくるのを待っているのだろう。あるいは、私が自分の非を認めて土下座する姿を想像して悦に入っているはずだ。
私はそのまま役所へ向かった。窓口で離婚届を提出すると、事務員は淡々と確認作業を進める。「受理されました」という言葉を聞いた瞬間、胸のつかえが取れたような清々しさが全身を駆け巡った。
その日の夕方、夫から電話があった。きっと、私が根を上げたと思っているのだろう。
「どうだ? 自分の愚かさに気づいたか?」
私は冷静に答えた。 「受理されたわ。今日付けで、私たちは完全に他人よ」
電話の向こうで、夫が絶句するのが分かった。まさか、私が本当に提出するとは思っていなかったのだ。 「は? お前、バカか! 生活はどうするんだ! 誰のおかげで生きてこられたと思ってるんだ!」
私は電話を切った。もはや、彼の怒鳴り声を聞く義務などない。
離婚が成立した翌週、私は驚くべき事実を知ることになる。 役所から「離婚に伴う税務申告の確認」ということで呼び出しを受けたのだ。そこで告げられたのは、元夫が抱えていた深刻な負債の存在だった。
元夫は、義母の介護を理由に仕事を辞めさせようとしていたのではない。義母と結託して、私の名義で勝手に借金を重ね、その返済のために私の退職金と貯金を当てにしようとしていたのだ。彼が私に介護を強いたのは、実家に私を縛り付け、借金の取り立てから逃れつつ、私の収入をすべて搾取する「家畜化計画」の第一歩に過ぎなかった。
離婚届が受理されたことで、私は幸いにもその負債の責任から免れることができた。もしあの時、彼に従っていたら、私は一生を借金返済と義母の介護に捧げることになっていたはずだ。
さらに皮肉なことに、私の離婚が確定した直後、元夫の会社で不正が発覚し、彼は懲戒解雇された。義母と共に路頭に迷うことになった彼から、その後何度も着信があったが、すべて拒否設定にした。
新しい生活は、質素だが平和だった。窓から見える景色は、以前よりもずっと明るく澄んで見えた。 「よく考えて」と彼が言った通り、私は深く考えた。そして出した結論は「彼を捨てて正解だった」ということだ。
人生は選択の連続だ。誰かの支配下に置かれ、自分の人生をすり減らす必要などない。今、私は自分のためだけに働き、自分のためだけに眠る。そんな当たり前の日常が、これほどまでに愛おしいとは知らなかった。
元夫が今、どのような地獄を見ているのか。それはもはや私の知るところではない。ただ、一つだけ言えるのは、あの離婚届は私にとって、不幸な結末ではなく、幸福な未来への「通行手形」だったということだ。
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