その日、私は夫とリビングで穏やかな週末の午後を過ごしていた。そこへ突然、義兄夫婦が「お祝いの報告がある」と言ってやってきた。彼らは義兄嫁の妊娠を明かし、すでに生まれてくる子供の名前を「レオ」に決めたと報告してきたのだ。
「もしかして、あなたたちも同じ名前を考えてた? でも残念。もうさっき、役所に届け出しちゃいました〜!」
義兄嫁は、まるで私から大切なものを奪ったと言わんばかりの、勝ち誇ったような得意顔でそう言い放った。横にいる義兄も「先に取っちゃって悪いね」と、薄ら笑いを浮かべている。
私は思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえた。肩を震わせ、口元を抑えながら、なんとか冷静を装う。その様子を見て、義兄夫婦は私が悔しさのあまり泣きそうになっていると勘違いしたようだ。
「そんなに悔しがらないでよ。他にも素敵な名前はたくさんあるでしょ? ああ、でも『レオ』ほど響きが良くて、海外でも通じる名前なんてそうそうないか。
あーあ、先に届けちゃって本当に良かった!」
義兄嫁の止まらない自慢話を聞きながら、私は笑いをこらえるのに必死だった。彼らはなぜそんなにも「レオ」という名前に執着し、また、私たちがそれを奪われることをこれほどまでに望んでいるのか。その理由を、彼らは全く理解していなかった。
私が笑いをこらえていたのは、彼らが「先に届け出た」というその事実が、実は私たちにとって全くの的外れだったからだ。
夫がようやく口を開いた。彼の表情は冷静そのものだった。
「兄さん、勘違いしているようだけど、僕たちは『レオ』なんて名前、一度も候補に入れたことなんてないよ」
義兄夫婦の顔から、一瞬にして表情が消えた。
「え……?」
「僕たちが考えたのは、『レオ』じゃない。僕たちの子供の名前は、僕の祖父から受け継いだ『正一郎(せいいちろう)』にする予定だったんだ。君たちが、なぜそんなにも僕たちが同じ名前を狙っていると思い込んでいたのか、そっちの方が不思議だよ」
彼らは完全に空振りだったのだ。私たちは、古風で重みのある名前を大切にしたいと夫婦で話し合っていたのであって、流行りの名前や海外風の名前には微塵も興味がなかった。義兄夫婦が、私たちの反応を期待して、わざわざ役所まで急いで届け出たというその行動そのものが、滑稽でならなかった。
義兄嫁は顔を真っ赤にし、義兄はバツが悪そうに視線を彷徨わせた。
彼らが私たちを出し抜こうと躍起になっていた時間は、彼ら自身にとって全くの無駄骨だったわけだ。
「そうか……。そうなんだな……」
義兄が力なくそう呟くと、義兄嫁は「それならそれでいいじゃない!」と無理やり強がって見せた。しかし、その目には明らかな恥と焦りが浮かんでいる。彼らの計画していた「私を悔しがらせる」という劇は、幕が上がった瞬間に主役不在で終了してしまったのだ。
その後、彼らは早々に帰っていった。玄関の扉が閉まる音がした瞬間、夫と私は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
「本当に、何だったんだろうね」
「先走って届け出までしちゃうなんて、どれだけ僕たちのことが気になるんだか」
彼らの「レオ」という名前には、きっと彼らなりの願いが込められているのだろう。けれど、他人の人生を覗き込み、誰かを出し抜くことばかりに意識を向けていては、せっかくの子供との未来も台無しになってしまうのではないか。そう思うと、少しだけ彼らのことが哀れに思えた。
この一件以来、義兄夫婦は私たちの前に現れる際、どこかぎこちない態度を取るようになった。彼らは、私たちが彼らの意図を簡単に見抜いていることを知ったからだ。
子供の名前は、親から子への最初の贈り物だ。誰かの真似をしたり、誰かを出し抜くための道具にするものではない。私たちは、私たちの大切にしたい名前を、胸を張って届け出る準備を進めている。
誰かと競い合う必要なんてない。私たちの人生は私たちのものだ。そう確信したあの午後の笑い声は、今でも私たち夫婦の心の中に、少しだけ皮肉なスパイスとして残っている。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
次のページ引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Xqpz2XWII_c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]