「契約の更新は行いません」
その言葉を聞いた瞬間、私は何も返せなかった。
頭の中で、意味だけが何度も繰り返された。
更新しない。
つまり、閉店。
この場所で22年間続けてきた店を、終わらせなければならない。
材料費が上がったからではない。
売上が大きく落ちたからでもない。
私が高齢になり、仕事を続けられなくなったわけでもない。
ただ、契約期間が終わる。
理由は、それだけだった。
書類の上では、たしかにそれだけだった。
私は小さな手芸店を営んでいた。
糸。
ボタン。
ファスナー。
布。
修理用の小さな部品。
大型店では見つからない物を探しに来る人も多かった。
「この色の糸、ありますか?」
「昔の上着を直したいんです」
「孫の袋を作ることになって」
そんな相談を受けるたび、棚の奥まで探した。
売るだけではなかった。
使い方を説明した。
似た素材を一緒に選んだ。
時には、買わなくても済む方法まで教えた。
商売としては、不器用だったかもしれない。
でも、それが私の店だった。
22年。
短いとは思わない。
赤ちゃんを抱いて来ていたお客様が、成長した娘さんと一緒に来るようになった。
制服のボタンを買いに来た学生が、数年後には子どもの通園バッグの材料を探しに来た。
店は小さかった。
でも、人の時間が積み重なっていた。
だから、契約終了の話を聞いた時も、最初は何か方法があると思った。
条件を変えれば更新できるのか。
場所を少し縮小すればいいのか。
家賃の話なのか。
私は何度も確認した。
けれど、答えは変わらなかった。
「社内で決まったことです」
「契約期間の満了です」
「個別の事情についてはお答えできません」
きれいな言葉だった。
何度聞いても、誰も悪者にならない言葉。
でも、その言葉を受け取った側だけが、店を失う。
しばらくして、周囲でも同じ話が聞こえ始めた。
長く営業していた店。
顔なじみの店員がいる店。
地域の人が日常的に使っていた店。
それらが、同じ時期に閉店するという。
一軒だけではなかった。
偶然と言うには、あまりにも重なっていた。
テナント同士で顔を合わせると、最初は誰も深く話さなかった。
余計なことを言えば、残りの営業期間に何が起きるか分からない。
そんな空気があった。
でも、閉店日が近づくにつれ、少しずつ本音が漏れた。
「うちも更新なしでした」
「理由は契約満了だけ」
「次に何が入るか、聞いていますか?」
誰も確かなことは知らなかった。
ただ、秋以降、閉店した区画を使って新しい売場が展開されるらしい。
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