四十五歳になっても実家暮らし――それだけで、世間の視線が冷たいことは承知していました。けれど私は、好きで居座っていたわけではありません。父の持病が悪化し、母も腰を痛め、通院の付き添いと家事の大半を担うために、仕事を調整して戻ってきたのです。家の中の静けさは、私にとって「責任」の音でした。
その均衡を壊したのは、久しぶりに帰省した妹夫婦でした。妹はお腹をさすりながら、明るく笑って言いました。
「双子が産まれるから部屋足りないのw お姉ちゃん、出て行って?」
冗談のような口調。けれど視線は本気でした。義弟も当然のように頷き、間取り図まで出して「ここを子ども部屋に」と語り始めたのです。
私が言葉を選んでいると、妹は畳みかけました。
「だって四十五で実家って、正直きついよ? こっちは家族増えるんだし。ね、パパママもそう思うよね?」
その瞬間、母が湯呑みを置き、静かに言いました。
「……私たちも出て行くわ」
妹の笑顔が凍りつきます。
「え? 何言ってるの?」
父も淡々と続けました。
「ここは売る。手続きはもう進めている。お前たちは、別で暮らしなさい」
妹は信じられないという顔で、「双子だよ!? 今さら家探しなんて無理!」と声を荒げました。義弟も「親が協力するのが普通だろ」と食い下がる。
けれど母は首を横に振り、決定的な一言を落としました。
「協力してきたのは、ずっとお姉ちゃんよ」
実は、父の治療費や家の固定費が重くなった数年前から、私は生活の大半を支えていました。名義も、将来の相続争いを避けるために、専門家を入れて整理済み。妹が「当たり前に住める」と思い込んでいた“実家”は、すでに「家族の負担を減らす資産」へと位置づけが変わっていたのです。
数日後、妹夫婦は慌てて「同居でいいから」と言い出しました。しかし条件は相変わらず上から目線でした。
「じゃあさ、家事はお姉ちゃん担当ね。赤ちゃんいるし」
その言葉に、父は初めて強い声を出しました。
「人を都合よく使うな。お前たちは親になろうとしている。まず礼儀を覚えろ」
結果、両親は私と一緒にシニア向けの住まいへ移り、実家は売却。妹夫婦は「追い出された」と近所に愚痴をこぼしましたが、現実は逆でした。出て行けと言ったのは妹、出て行くと決めたのは両親。
最後に妹が小さく震えた声で言いました。
「……こんなはずじゃ……」
私は玄関の鍵を机に置き、静かに答えました。
「“家族”って、奪う場所じゃなくて、守るものよ」
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