十年――。
大人にとってはあっという間かもしれない。
けれど、小学生だった娘は社会人になる年齢になった。
その十年間、夫は家にいなかった。
義母がぎっくり腰になった冬の日、「しばらく実家を手伝う」と出て行ったきり、義実家で暮らし続けている。生活費は雀の涙ほど振り込まれるが、連絡はほとんどない。娘の学校行事にも来ない。誕生日も知らない。
父親としての責任を放棄し、それを当然のように受け入れてきた義母。
私は五十三歳。フルタイムで働きながら、娘・春佳を一人で育ててきた。教育ローンはまだ残っているが、先日、春佳は内定をもらった。胸を張って送り出せる娘に育ってくれたことが、何よりの誇りだ。
そんな矢先、私の両親が追突事故に巻き込まれ、同時に亡くなった。
悲しむ暇もなく、葬儀と相続の手続きに追われた。税理士との打ち合わせを終え、ようやく一息ついたとき、ふと夫の存在を思い出した。
何度電話しても出ない。メールも既読すらつかない。
仕方なく義母に電話をかけると、開口一番こう言われた。
「ご両親の家って大きかったわよね? 相続はどのくらい?」
お悔やみの言葉は一つもなかった。
私は静かに答えた。
「三人兄弟で三等分です。お義母さんには関係ありません」
電話を切った後、娘が言った。
「お母さん、きっと来るよ」
「誰が?」
「おばあちゃんと、お父さん。遺産目当てで」
私は苦笑したが、娘は真顔だった。
「もし当たったら、約束して。ちゃんと決着つけて」
私は娘と約束をした。
一週間後、インターホンが鳴った。
宅配かと思ってドアを開けると、そこに立っていたのは――義母と、見知らぬ初老の男。
太り、薄毛が進み、だらしないトレーナー姿。
数秒見つめて、ようやく気づいた。
「……ひろし?」
十年前に出て行った夫だった。
義母は勝手に家に上がり込み、夫も続く。
「コーヒーある? 俺はお茶で」
私は深呼吸した。
「ご用件は?」
義母は得意げに封筒を取り出し、テーブルに広げた。
有名ハウスメーカーの設計図。
二世帯どころか四世帯は住めそうな豪邸の図面。外車のパンフレットまで添えられている。
「理想の二世帯住宅よ。遺産で建てて、みんなで同居しましょう」
夫が胸を張る。
「俺の両親と一緒に住めば安心だろ? 家族は一緒が一番だ」
私は言葉を失った。
その瞬間、階段を降りてきた娘が図面を見て、吹き出した。
「ほらね、お母さん。言った通りでしょ」
私たちは顔を見合わせ、大爆笑した。
義母と夫は、了承の笑いだと勘違いしたらしい。
「やっぱり家族だものね!」
娘が真顔に戻る。
「虫が良すぎるんじゃない?」
「え?」
「十年間、母子家庭みたいに放置しておいて、遺産の匂いがしたら“家族”?」
夫が顔をしかめる。
「俺を追い出したのはお前たちだろ」
「は?」
話を聞けば、十年前の“原因”はこうだった。
雪の日、私と娘が風邪で寝込んでいるのに、手ぶらで帰宅した夫が「俺の飯は?」と怒鳴った。私は「外で食べて」と言った。
それを「出て行け」と受け取ったらしい。
たったそれだけで十年別居。
私は脱力した。
「何度も連絡したわ。あなたにも、お義母さんにも」
義母は目をそらす。
夫は開き直る。
「謝れば許してやる。今からでもやり直せる」
娘が笑いながら言った。
「お父さん、知らないの?」
「何をだ」
「お母さん、五年前から離婚届用意してるよ」
夫の顔が凍りつく。
私は静かに言った。
「十年の別居は立派な離婚理由です」
「俺は生活費を振り込んでた!」
「父親の役目はお金だけじゃない」
学校行事、受験、就活。全部、二人三脚で乗り越えた。
あなたはいなかった。
義母が青ざめる。
「三億円の遺産で家を建てれば…」
「三億円?」
私は笑った。
「三等分を三億と勘違いしたの? 現金はほとんど残っていません」
義母の顔が歪む。
「老後どうするのよ!」
「知りません。家政婦でも介護要員でもありませんから」
三ヶ月後、離婚は成立した。
復縁を迫るメールは一日二十通。すべて保存し、法的措置を示唆すると止まった。
娘は春から一人暮らしを始める。
私はパート先から正社員登用の話をもらい、資格取得の勉強を始めた。
十年という時間は、決して無駄ではなかった。
私は娘と笑い合いながら言った。
「これからは、自分の人生を使うわ」
娘も頷く。
「私も」
遺産より大切なのは、自由だ。
そして、遅すぎることなんてない。
十年越しに、私はようやく本当のスタートラインに立ったのだから。
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