当初は母が健在だったため、私も実家に通いながら父のサポートをしていましたが、母の他界と父の認知症の進行を目の当たりにし、私は実家での同居を決断しました。
それから父の昼夜逆転や物忘れ、暴言などが始まり、徘徊で深夜に警察のお世話になったこともありました。兄夫婦は一切助けてくれなかったので、私は訪問介護サービスを利用しながら、実家で父と2人の生活を続けてきたのです。
そんな父の体調が悪化。医師に余命宣告を受けて——。
医師から余命を聞かされた私は、実家で父を看取ることに決めました。寝たきりになった父を病院から連れて帰ってきて数日後、これまでノータッチだった兄夫婦から「同居したい」「やっぱり最後は家族として見送りたい」と連絡があったのですが……。
幼いころは仲の良かった兄ですが、結婚して家を出てからは表面上の付き合いしかしなくなっていました。義姉は私を見下すような言動をたびたび取っていたので、私から距離を置いていたところもあります。
今までは「仕事が忙しい」「お前に任せた」と言っていた兄夫婦が同居したいと言い出すなんて、意外でした。それでも「これまで任せきりで申し訳なかった。最期くらいは私たちに手伝わせて」という義姉や「最後の親孝行をしたい」と言う兄の熱意に打たれて、私は実家の2階の部屋を兄夫婦のためにあけることにしたのです。
その翌週、兄夫婦たちは実家に引っ越してきました。「これからよろしくね!」と言って握手を求めてきた義姉の手を握り返した私。そのときは「やっぱり家族なんだな」とじーんとしていたのですが……。
3カ月後――。父を無事看取った私たち。父の葬儀で「お義父さんにはよくしてもらって……」などと言いながらさめざめと泣く義姉を、私は冷めた目で見ていました。
父の介護に協力すると言って同居を始めた兄夫婦でしたが、結局父の介護をしていたのは私だけ。義姉がしたことといえば、介護士さんが来た際にお茶を出した程度だったと思います。その上、義姉が「義父なんて早くいなくなってくれたらいい」と電話で話しているのを耳にしたときは、怒りを通り越して悲しくなってしまいました。
思い描いていたよりもはるかにひどい生活に、私は心身ともに疲れ切っていました。
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