十二月三十一日、年の瀬の慌ただしさの中で、私のスマホが震えた。夫からの第一声は、予想外の切り出しだった。
「嫁子、義弟嫁さんに何かした?」
「するわけないじゃん。会ったこともないし、連絡取る手段もないのに」
短いやり取りののち、夫がため息まじりに続ける。「だよね……でも義弟がさ、『正月、義兄嫁(=私)が来るなら義実家いかないって嫁が言ってる。だから義兄嫁は来ないでほしい』って」。耳を疑う私。「なにそれ? なんで私が悪者扱い?」——夫も「わからん」と首をひねるばかり。私は即座に提案した。「義弟夫婦と訪問日ずらしたい。そういうこと言う人には会いたくない」「そうしましょうか」と夫。年始のスケジュールは、静かに修正された。
そして当日。私たちが義実家に着くと、玄関で待っていた義弟が、開口一番「すみませんでした」と頭を下げた。話を聞けば、義弟嫁は「義実家に行きたくない」本音を隠すため、「私に会いたくないから行かない」という理屈をでっち上げ、義弟を言いくるめたらしい。
義弟は「義兄嫁さんは三日に来るらしいから、鉢合わせしないよ。行こう」と説得したが、義弟嫁は結局「行きたくない……」と沈黙。最終的に「義兄嫁がいるから無理」というのは嘘と白状し、「正月はそれぞれの実家に行く」という落とし所に着地。義弟だけが義実家に来訪した、という顛末だった。
私は呆れと安堵の入り混じる息を吐いた。行きたくないなら正直に言えばいい。なぜ、会ったこともない第三者——しかも夫の兄の妻という、親族関係上デリケートな立場——をダシに使うのか。義弟嫁の稚拙さに、思わず「アホだな」と心の中で毒づいた。一方で、その言い分を一度は鵜呑みにして、確認もせず先走った義弟にも「それはそれでアホ」と小言を心の奥でつぶやく。けれど、義弟がきちんと状況を整理し、直接謝罪に来たことは事実で、その誠意は評価したい。
救いは義両親の存在だ。私が年始に伺う気になれるのは、あの人たちが穏やかで、礼節をわきまえ、嫁である私をひとりの人として尊重してくれるからにほかならない。
だからこそ、今回の“嘘の口実”は、筋違いであるばかりか、義両親への無礼でもある。行きたくないという個人的事情は、誰にでもある。人見知り、体調、金銭、距離、あるいは単に気乗りしない——それ自体は責める性質のものではない。問題は、その理由付けに「他人を悪役に仕立てる」という近道を選んだことだ。
この一件は、家庭という小さな共同体に潜む“伝言ゲームの罠”を鮮やかに露わにした。
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