話はずいぶん前に遡る。ある晩、父が唐突に切り出した。「中学の同級生がね、夫のDVで離婚したらしい。子どもが二人いて大変そうだ」。その声色は、同情を超えてどこか熱を帯びていた。続けて父は言う。「助けたい。俺の稼ぎの半分を渡そうと思う」。居間にいた母は、ほんの一拍だけ言葉を飲み込み、静かに首を振った。「それは出来ないわ。うちには兄とあなた(語り手)と弟がいる。まずは自分の家族を守るべきでしょう」。父は眉間に皺を寄せ、正義を掲げる人の口調で反論した。「困ってる人を見捨てるのか!」
議論はすぐに家の土台を揺らし始めた。母は感情で拒んだのではない。家計、子どもの進学、住宅ローン、祖父母の介護——目の前の具体に責任を持つ者としての否と言葉を尽くした。けれど父は、半分という数字に妙な清廉さを見いだし、譲らなかった。やがて母方の祖父が怒る。「情けは美徳だが、家を壊してまでやることじゃない」。この一言が決定打となり、母と父は離婚した。
家族の歴史は、その夜を境に二つの線へ分かれた。
それから十四年。ある日、私のスマホに短いメッセージが届く。発信者は“元・父”。本文はたった四文字。「終わったよ」。指先が止まる。終わった——何が? 彼が選んだ“もう一つの家族”への支援か、それとも長年続けた“正義感の演目”か。思わず胸中で突っ込む。「は? お前はこちら側ではありませんが?」と。十四年の空白は、四文字では埋まらない。
後から聞けば、どうやらその同級生の子どもたちが大学を卒業し、父の肩代わりが“一区切り”ついたのだという。大学まで、というマイルストーンを勝手に定め、完走した自分にケリをつけたつもりらしい。ならば、と私は思う。彼はその同級生と再婚すればよかったのではないか。責任をともに背負い、戸籍を同じくし、法的にも生活的にも“一つの家”を作ればよかったのではないか。けれど父は、正式に寄り添うことはしなかった。元の家族の外側に立ち続け、同級生の家の“外側”で資金を投じ、“両方のいいとこ取り”を夢見ていたのだろう。
結果、守るべき家は一つも守れなかった。
もちろん、困窮した人を助けること自体を否定するつもりはない。私だって、寄付やボランティアの価値を知っている。だがそこに、当事者へのヒロイックな称賛や外部の喝采が混じり始めると、目的と手段が容易に入れ替わる。自分の家族を養うのは当たり前——誰も褒めてくれないし、感謝も薄い。だが“よその人”を助ければ、派手に感謝され、無責任な周囲は口々に称賛する。
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