25歳の時、片足を失った男性がいました。これはもう10年も前の話になります。師走の夕暮れ時の出来事でした。50ccバイクで走行中、歩道から飛び出した少女を避けようとして転倒し、後続の自動車に下肢を踏まれてしまったのです。
この男性は肉体労働ではなく、頭脳労働と室内業務をしていたため、職を失うことはありませんでした。しかし、唯一の趣味であったサッカーができなくなったことは少し悲しかったと言います。
彼はネガティブなことを考えず、ポジティブに捉えていました。「少女が助かってよかった」「今後、生活が少し不便になる程度」と思い直したのです。
示談の結果、彼は年に50万円を受け取ることになりました。この額は決して無茶なものではなく、世間の相場からすれば少ないくらいではないでしょうか?彼は「たかが足1本と思っていた」「加害者の家庭には、懇意にお付き合いしてもらって嬉しい」と善意的な解釈をしていました。
事故以来、加害者の家庭とは友好な関係を築いていました。父親とはサッカーの試合結果で賭けをするなど、良い飲み友達になりました。母親は見合い話を持ってきてくれるなど、おばちゃんパワー全開でした。少女とも冗談を言い合える仲になっていました。
10年経っても、彼は少女の家族と良い関係を保っていました。ある日、雑談中に少女が結婚することを聞きました。彼は兄貴のような気持ちで喜びましたが、ふと我に返りました。
彼は加害者の家庭を思いやる心を持っていました。「結婚には費用がかかる。この家庭の負担を減らしてやろう」と聖人のような気持ちになったのです。
成長した少女の人生の幸せを考え、嗚咽してしまいました。
彼は「年50万の補償は断ろうと考えている」という結論に達しました。「片足を犠牲にした人間とは、もう関わる必要はない」と。それが良いのではないかと考えたのです。
被害に遭って身体の一部を失い、それでも加害者側を思いやることは簡単なようで難しいことです。
このような美談は、現代社会では少ないことでしょう。
「これは美談だ!」「被害者が加害者と仲良くなるなんて!」「加害者側を思いやるとは、あり得ないわ~」「こういうのを達観と呼ぶんだろう!素晴らし過ぎる!」
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