結婚前、夫からこう言われていた。
「母さんとはあまり深く付き合わない方がいい。正直、難物だから。」
義妹からも「うちのお母さん、変わってるし、だらしない人だから」とまで言われた。実の子供たちにそこまで言われるのなら、よほど厄介な人に違いないと私は覚悟を決めていた。ところが、実際に会ってみると――予想は裏切られた。驚くほど気が合ってしまったのだ。
義母は内気で控えめな性格。家事も丁寧で、清潔好き。だが義父はそんな彼女を「何もできない役立たず」と罵り続けていた。親戚づきあいが苦手なだけで、生活能力に問題があるわけではない。むしろ、義母は少女小説や漫画をこよなく愛するロマンチストで、その趣味が私とぴたりと重なったのだ。
実は私も隠れオタク。若い頃はお姫様を主人公にしたオリジナル小説を新人賞に応募したことさえある。そんな過去を知っているのは親友ぐらいだったのに、義母の前では自然と打ち明けられた。
彼女もまた、十代の頃に買った少女小説を今でも大切に読み返している人だった。二人でお菓子をつまみながら「セルゲーエフ先生は素敵」「速水真澄さま最高」と盛り上がる時間は、秘密の宝物になった。
しかし、この“秘密”はやがて家族に知られることになる。義父はもちろん、夫と義妹も私を非難しはじめた。
「陰気な母に感化されて、お前までおかしくなってしまった。」
「実の母を差し置いて、義母と仲良くするなんて許せない。」
最初はもっともらしい理由をつけていた彼らも、結局は「自分たちが疎外されている」と感じたにすぎなかった。
義母はますます肩身を狭くし、私との交流さえ「迷惑になるから」と控えるようになった。そして、彼女はついに鬱を発症する。
鬱が悪化すると家事も手につかなくなり、義父は暴力を振るうようになった。見かねた近所の人が通報し、義母は診断を受けて療養することになった。夫は仕方なく義母を実家から引き取ったが、世話をしていた私にまで嫉妬し、嫌味を繰り返す。
義母の病状がさらに悪化するのを避けるため、私は彼女を入院させた。
その決断が、私への非難をさらに強めた。夫と義妹は口を揃えて「母の鬱はお前のせいだ」と責め立てる。義母の心を少しでも救いたかっただけなのに、責任まで押し付けられる日々に耐えられなくなった私は、離婚を選んだ。
その後、義母も義父から離婚を言い渡された。だが幸いにも、病院の紹介で福祉の支援を受け、義父の知らない土地へ移り住むことができた。私はだいたいの居場所だけを知っているが、夫にも義父にも決して教えない。二人は今になって義母を探しているらしいが、もう遅い。
私の結婚は失敗に終わった。けれど、人生を台無しにされていた義母を救い出すことができたのなら、それだけで意味はあったと思える。彼女はまだ50代。これから新しい人生を楽しんでほしいと、遠くから願っている。
義母と意気投合した結果、私は夫を失い、家庭を失った。だが、そこに後悔はない。むしろ、彼女と出会えたことが私の誇りだ。
――難物だと聞いていた義母と会ったら意気投合し、結果として離婚することになった。それは不幸ではなく、むしろ「救い」の物語だったのかもしれない。
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