バスの車内で小学生が降車ボタンを連打するという出来事がありました。小学生はイタズラ心から降車ボタンを押し、降りる気配を見せませんでした。しかし、このバスの運転手の対応が注目を集めました。
帰りのバスの中で、小学生が何度も降車ボタンを押し、バスが停車するたびに「間違えましたーw」「うっそでーすw」と冗談めかして言い訳を繰り返しました。しかし、数度目の停車時に運転手は踏ん張りました。「今ボタンを押した人は降りてください」「違いまーすw」と小学生に告げました。運転手は「降りるまで発車しないから」と断言しましたが、小学生は最初は信じませんでした。「嘘じゃない降りて」「えっええっ」と驚きましたが、運転手は「降 り ろ」と厳しく言いました。
おそらく小学生はこれまでもこのようなイタズラを繰り返してきたのでしょう。今回も降車ボタンを何度も押し、運転手や他の乗客を困らせました。しかし、この運転手は他の運転手とは一線を画していました。彼は子供のイタズラだからと見逃さず、しっかりと対応したのです。
運転手が「降りるまで発車しない」と断言すると、小学生も焦りを感じ始めました。そして以下のようなやり取りが続きました。
小学生: 「ごめんなさい、もうしません」 運転手: 「ええけえ降りろ」「ここ違うんです」 小学生: 「でもボタン押したじゃろ」「ごめんなさい(半泣き)」 運転手: 「早う降りにゃあ他のお客さんに迷惑じゃろ」「ごめんなざい~(本泣き)」 運転手: 「◯◯小じゃろ。
学校に言うとくけえの」
小学生が謝ったところで事実は変わりませんでした。運転手は発車する様子を見せませんでした。もしバスが発車してしまえば、小学生たちは適当に謝れば大人が折れてくれると思っていたかもしれません。しかし、運転手はそれを分かっていたのでしょう。だからこそ、彼は折れずにしっかりと対応したのです。
この出来事を目撃した人々は、運転手の対応に感銘を受けました。
彼の決断力と子供のイタズラに対する厳しさに敬意を表しています。
ネット上の見解
現代社会に蔓延する甘やかしの風潮と、それに対するある種の反発を見て取ることができます。いたずらをした小学生、毅然とした態度で臨んだ運転手、そしてその様子を目撃した人々。それぞれの立場から、現代社会における「教育」のあり方、そして大人と子供の関係性について深く考えさせられます。
まず、小学生の行動は単なる「いたずら」として片付けて良いものでしょうか。彼は停車するたびに周囲の反応を楽しんでいたのでしょう。しかし、その背後には、大人の反応を伺い、どこまで許されるのかを探るような、ある種の狡猾さすら感じられます。これは、現代社会における「子供」という存在が、過剰なまでの庇護と権利を与えられ、責任を伴わない存在として認識されていることへの歪みともいえるでしょう。
次に、運転手の行動は賞賛に値するものでしょうか。確かに、毅然とした態度で臨むことで、小学生に責任ある行動を促そうとした点は評価できます。しかし、彼の言動からは、子供に対するある種の軽蔑、そして「力で押さえつければよい」という短絡的な思考が透けて見えます。これは、現代社会における大人たちが、子供と向き合い、対話を通じて理解を深めるという、本来あるべき教育の姿勢を失いつつあることを象徴しているかのようです。
最後に、目撃者の反応はどうでしょうか。彼らは運転手の行動に感銘を受けたようですが、それは、日頃の鬱憤を晴らすような、一時的な感情論に過ぎないのではないでしょうか。子供たちの問題行動を目にするたびに、「厳しくすればよい」という安易な解決策を求める風潮は、真の解決を遠ざけるばかりです。
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