1977年8月、日産は5代目スカイラインを「ジャパン」として発表しました。当時の流行であったウエッジシェイプデザインを採用しながらも、ケンメリから受け継がれたサーフィンラインや丸形テールランプを取り入れたスタイリングは、一目でスカイラインとわかるものでした。しかし、その結果、スカイラインの本来の魅力が失われてしまったことも否めません。この大胆なプロジェクトに3億円を投じた日産が直面した現実と、その背景にある市場の真実について掘り下げてみましょう。
スカイライン「ジャパン」は、前作ケンメリの後継として期待され、デザインも一新されました。
特にフロントグリルには「GTターボ」のエンブレムが輝き、スポーティなイメージを強調しました。しかし、安全性の向上のためにボディサイズが拡大され、環境対策が進められたエンジンは、当時の車ファンから「非力」と評されました。
ケンメリからの変化と市場の反応
ケンメリはそのデザインと性能で大ヒットしましたが、「ジャパン」はその期待を背負いながらも、市場での評価は芳しくありませんでした。その一因として、車体が大きくなったことでスカイラインらしい軽快な走りが損なわれたことが挙げられます。また、エンジンの出力不足も否定できない問題でした。この変化は多くのスカイラインファンにとって受け入れがたく、「スカイラインらしさが失われた」との声が多く聞かれました。
トヨタの「セリカ」や他のスポーツカーとの競争も、スカイライン「ジャパン」にとって厳しいものでした。
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