関口宏といえば、日本のテレビ界を代表する司会者の一人として知られています。「クイズ100人に聞きました」や「東京フレンドパーク」などの番組で長年にわたり活躍してきました。しかし、彼の華やかなテレビ人生の裏には、妻・西田佐知子さんとの絆や、夫婦が共に下した大きな決断が隠されています。
関口宏がキャリアの岐路に立たされたのは、1970年代後半のこと。役者としての活動と司会者としての活動、この二足のわらじで進むべきか迷い、悩んでいた時期でした。その時、彼を支えたのが妻・西田佐知子さんでした。
西田佐知子さんといえば、「コーヒールンバ」や「アカシアの雨がやむ時」などの名曲で知られる歌手。
彼女は関口に「ゼロになってもいいじゃない。もともとゼロからの出発なんだから」と励ましの言葉をかけました。この一言が、関口の迷いを振り払い、司会者の道を選ぶ大きな後押しとなったのです。
その後、関口は司会業で大成功を収め、数々の番組で輝かしい活躍を続けました。しかし、そんな関口夫婦の生活にも、時が流れるにつれ変化が訪れました。
関口夫妻が長年住んできた世田谷区の自宅は、広さ545平米、地下もある豪邸として知られていました。1985年から住み続けてきたこの家は「関口御殿」とも呼ばれるほどの存在感を放っていました。しかし、夫妻はこの家を離れる決断を下します。その理由は、西田佐知子さんの体調を考慮してのものでした。
年を重ねるにつれ、二階にある寝室への階段の上り下りがつらくなり、医療施設が隣接する都心のマンションへの引っ越しを決意しました。夫婦でご近所に引っ越しの挨拶をした際、関口は「やはり年を取るとマンションの方が便利です」と語り、その決断が妻のためであったことを強調しました。
この決断に至るまでの背景には、家族を大切に思う関口の深い愛情がありました。
豪邸からマンションへと移る選択は、決して簡単なものではなかったでしょう。しかし、妻の体調を最優先に考えた関口の姿勢は、夫婦の絆の強さを物語っています。
関口夫妻には一人息子がいます。それが、関口知宏さんです。彼は鉄道旅行番組で広く知られており、「列島横断 鉄道12000kmの旅」や「ヨーロッパ鉄道の旅」など数々の鉄道番組に出演しています。その旅の達人としての姿が印象的な彼ですが、意外なことに、旅が好きではないと告白しています。
関口知宏はあるインタビューで、「実は、旅は嫌いなんです。本当は音楽のプロデュースをやりたかった」と明かしました。
彼が本当に追求したかった夢は音楽業界での成功でした。しかし、運命は別の方向へと彼を導き、鉄道の旅番組に関わることになったのです。
旅番組の撮影は長時間の拘束があり、好き嫌いに関わらず「これはやるべき仕事だ」と自分を納得させたと彼は語っています。この告白には驚きつつも、彼のプロとしての姿勢が感じられる瞬間でした。
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