半年ほど前、今の彼氏にプロポーズされて、私は本当に嬉しかった。その時は、まさに「いつか彼と一緒に」と夢見ていた未来が目の前に広がってきたような気がした。私たちはすでに同棲していて、結婚の話が現実味を帯びるたびに、どんな日取りで入籍しようか、結婚式はどこでやろうか、ハネムーンにはどこに行こうか、そんな話をするのが楽しくて仕方がなかった。
でも、その話の途中で、彼が突然「子ども」の話を出した瞬間、私は目の前がぐらぐらと揺れるのを感じた。比喩ではなく、本当に、脳内が握りつぶされたような感覚になり、トイレに駆け込んで泣きながら吐いてしまった。彼はすごく心配してくれて、すぐに病院に連れて行ってくれたけれど、医師も首を傾げるばかりで、最初は原因がわからなかった。
その時、医師から「子どもに対して嫌悪感を抱いたり、拒絶反応を感じたりしませんか?」と聞かれたけれど、全く思い当たる節はなかった。私は子どもに嫌悪感を持っていたわけでも、何かトラウマがあるわけでもなかった。
彼は「それなら良かった」と言って喜んでくれたけど、私が吐いてしまうことが続いて、子どもに関する話題は一切されなくなった。
その後、私は自分に何か問題があるのかもしれないと思い、カウンセリングを受け始めた。そこで私は、子どもに対して拒否反応があるのではなく、実は「自分が子どもを持つこと自体に拒否反応を感じている」ということに気がついた。その理由が、どうやら父親にあるということが明らかになった。
父親は、共働きの母を支えるために家事をしていた「育メン」として知られていた。外から見ると、素晴らしい父親で、私たち兄妹にとっては良き父親であるように見えた。しかし、私が感じていたのは、父が母だけを愛していて、私たち子どもには「愛されているけど、それ以上でもそれ以下でもない」という冷徹な感情だった。つまり、父が私たちを愛していたのは、母に褒められ、愛されたいからだと感じていたのだ。
この感情を言葉にするのは非常に難しいのだが、私は父が母が亡くなれば、私たちを愛することはないだろうと感じていた。
母がいるから、私たちは愛されているのだ、という思いが強かった。そのため、父親からの愛が無条件ではなく、ある意味で「母を通じての愛」に過ぎないことに気づいたのだ。
精神科医は、私が親になる時に、もし自分の子どもを本当に愛せるかどうか不安に感じているのは、この経験が原因ではないかと指摘してくれた。私が子どもに対して拒否反応を示すのではなく、自分が親になったときに、親としてきちんと愛情を注げるかが不安だからだ、と。
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