戦場カメラマンの渡部陽一さん(51)が大学1年生のとき、ザイール(現コンゴ民主共和国)の狩猟民族を訪ねる旅で、突如少年兵に襲撃されました。彼らは銃を持ち、裸の上半身に銃弾を巻きつけており、無表情で近づいてきました。渡部さんは何度も銃で殴られましたが、全ての荷物を差し出すことで命を守りました。ザイールの隣国ルワンダでは部族間の内戦が激化しており、少年兵たちは村々を略奪して回っていました。こうした経験から、世界の現実を知らずにいた自分の無知を痛感しました。
「僕らを襲ってきた少年兵は十数人。銃を持ち、裸の上半身には銃弾をまきつけていました。無表情のまま近づいてきた彼らに銃で何度も殴られましたが、現金やカメラなど全ての荷物を差し出したことで、殺されずにすみました。
」
現地の人のバイクに乗せてもらったり、食料をめぐんでもらったりしながら、どうにか日本へ帰国した渡部さんは、この壮絶な体験を家族や友人に伝えようとしましたが、アフリカの現実は日本から遠く、誰もピンと来ませんでした。そこで、写真ならば現地のリアルな姿を伝えられるのではないかと考え、再びザイールへ向かいました。助けてもらった人々を訪ねるとともに、今度こそ内戦の実情を写真に収めることを決意しました。
「その年の冬、再びザイールへ向かいました。助けてもらった人々を訪ねるとともに、今度こそ内戦の実情を写真に収めようと考えたのです。その頃には、すでに戦場カメラマンとして活動していく決意を固めていました。ちなみに、1度目の渡航では会えなかった狩猟民族にもお目にかかれ、数日間一緒に過ごすことができました。落ち葉を積み上げたような簡素な住居で寝起きし、移動しながら狩りをして暮らしていました。」
大学在学中も卒業後も、渡部さんは日雇いアルバイトで生活費を稼ぎつつ、取材費にあてました。両親に戦場カメラマンになると告げたときは大反対されましたが、無謀な取材は絶対にせず、必ず生きて帰ること、どんな現場からでも必ず実家に連絡を入れることを約束しました。
「もちろん、両親に戦場カメラマンになると告げたときは大反対されました。
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