私は春子、65歳。若くして息子を亡くし、その日から私の人生は大きく変わった。
息子が亡くなった後に残されたのは、まだ5歳だった孫の健太。健太は生まれつき障害を抱えていた。
しかし嫁は、健太の顔を見ることもなく、「私には育てられない」と言い残し、家を出て行った。私は呆然と立ち尽くしたあと、小さな健太を強く抱きしめた。そして、この子は私が育てると心に決めた。
それからの毎日は必死だった。朝は掃除の仕事へ行き、昼はパート、夜は内職をした。指が割れて血がにじんでも、休んでいる暇はなかった。
帰宅すると、私は健太の隣に座り、一緒に勉強をした。すると健太は、ノートを見せながら嬉しそうに笑った。
「バアちゃん、できた!」
その笑顔を見るたびに、私は疲れを忘れ、また頑張ろうと思えた。
けれど世間の目は冷たかった。近所の人たちは私たちを見るたび、「かわいそうに」「施設に預けたらいいのに」と勝手なことを言った。私は悔しさを飲み込みながら、それでも健太の手を離さなかった。
健太も諦めなかった。時間はかかっても、一歩ずつ努力を積み重ねた。支援教室を卒業し、高校へ進学し、さらに大学へも進んだ。
やがて健太は、障害を持つ子どもたちを支援する団体を立ち上げた。真面目に活動を続けるうちに周囲から評価され、テレビで特集されるまでになった。
私はテレビの前で息を止めるように画面を見つめていた。すると健太が、まっすぐ前を向いたまま静かに言った。
「おばあちゃんが、僕をここまで育ててくれました。」
その瞬間、私は涙が止まらなかった。20年間支え続けた日々が、ようやく報われた気がした。
数ヶ月後。健太は私を新しい家へ連れて行った。
そこはバリアフリーになった明るい家だった。大きな窓から光が差し込み、温かな空気に包まれていた。
健太は照れくさそうに笑いながら、私に言った。
「バアちゃん、今度は俺が守る番だよ。」
私は言葉にならず、ただ涙を流した。
ある日、その家に近所の人たちが訪ねてきた。テレビで見た健太と、目の前の家を何度も見比べながら驚いていた。
「あの子が…テレビの健太くんだったの?」
私は静かに頷きながら答えた。
「立派になりました。」
すると、昔ひどいことを言っていた人たちが、涙を浮かべながら謝ってきた。
私は小さく微笑みながら言った。
「いいんですよ。あの子を信じて続けてきた時間が、私の誇りですから。」
そう言いながら私は思った。健太と歩いた20年は、決して無駄じゃなかったのだと。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
次のページ