離婚を決めたあの日、元夫は私を一方的に「不貞を働いた」と決めつけ、さらには娘も「不貞の子だ」と主張してきた。「〇したいくらい憎いガキ」とまで言われ、心の中でどれほどの怒りと絶望を感じたことだろう。
借金を抱えるフリーターだった元夫がいたため、娘の安全を考えて、離婚の際に私は養育費なしで協議離婚に同意した。しかし、この侮辱を忘れることはなかった。
数年が経ち、ある日、元夫から突然連絡があった。「肺癌になり、余命半年だ」と。その知らせを聞いた瞬間、私の心の中で抑えていた感情が爆発した。彼が私と娘に向けた言葉を、どれほど憎んでいたか。もう、許すつもりはなかった。私はすぐに病院に通い、元夫に会いに行った。
そのときの私の気持ちは、正直言って喜びだった。「あなたが養育費を払わなかったから、私は毎日『シネシネ』って呪っていたんだよ。これが神様からの罰だよ!」と、心の底から言葉が出てきた。元夫が必死に「金なんか払わん!絶対に払わない!」と叫ぶその姿を、私は冷静に録音して、再生しながら何度も何度も彼を追い詰めていった。私は元夫の暴言を録音していたおかげで、彼の不誠実さを証明することができた。
元夫は大部屋だったけど、たまたま他の患者が一人もいない部屋だったから、私やりたい放題。大泣きして呼吸困難になったり「タヒにたくない、許してくれ」って呼吸困難になったり、今更遅いって笑ってやった。4度目のお見舞いで、看護師さんにブロックされるようになったから行くのをやめたけど、元夫が公衆電話や携帯から私に許しを乞う電話をかけてきてた。
元夫は余命を待たずに息を引き取った。あの時、私は正直に言って、少しの冷静さと同時に心の中で満足感を覚えた。毎日の生活の中で、彼の不幸を願う瞬間があったからこそ、その後の安心感は大きかった。
娘には辛い過去を知られたくないと思いながらも、私は一人前になるまで生き続ける覚悟を強く感じていた。
振り返ると、私も元夫と似たようなところがあったのかもしれない。復讐心に囚われすぎた自分を見つめ直し、少しだけ冷静になった。これからは、娘のために全力で生きていくと心に誓った。そして、元夫の死後、私はやっと心から「許して忘れなきゃ」と思えるようになった。もちろん、すぐに忘れることはできないが、少なくとも今は少しだけ平穏な心でいられる自分がいる。
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